いつかあの羊に会いに

思い立ったが吉日

色についてのメモ

羊、今月末に近くの牧場で毛刈りがあることが気になる。

紫外線がよくないようなのだが、行けるかなあ。

今はよもぎを陰干ししているところ、草木染に淡いグリーンもいいけれど、
これは夏でも冷え症のときの温浴に使おうかと思っている。


ヨーロッパの糸の色合いは素敵だけれど、人工的だ。
いろんな色を混ぜて一つの色を作るらしい。
混ぜて、混ぜて、どこにもない一つだけの色ができる。
イタリアなどでは色の特許がすごい数だとか、
つい最近では日本人エンジニアの人がCG映画の色の再現に貢献したとか、、、

それに対して、自然界の色、というのは色域といおうか、明度も彩度も幅が狭い、
ということを以前習った。これは聞いた瞬間、とても意外な気がしたのだが、
自然界でほっとする、というのもこの範囲の色に限定されているから、
と思うとなんとなく理解できる気がしないだろうか。


いつか真冬のコートを買ったときにお店の人が、言っていたことを思い出す。
気象条件でもヨーロッパ、アフリカなどと日本とも色の見え方が異なること。
 緯度で太陽光線の入射角が異なることに、はたと思い当たって、つながった。
 
 勉強してよかったな、というのはこういう実践的なことと机上で学んだことがぴぴっと
現象と理論としてつながることではないかと思う。
 それはまったく偶然の出会いによってもたらされていくところがまたすてきなこと。

もともと色の見え方というのは個人差があって、ベンハムのコマというのが有名だ。
白黒なのに虹色が見えたりある色調が強く見えたりする。

もうひとつ、輝度を上げるために白いテーブルでLED蛍光灯を付けて
ご飯を食べていると、どうも太陽光の下で見る色と異なることに気づく。
なんというか、照明で食べる色がなんともまずそう。
こういうのに慣れちゃいかんなあ、となるべく自然光で多少暗くてもいいや、
ということになってきた。
字を読むのにはやっぱり人工照明でいい。

もうひとつ、病院がカラフルに元気ビタミン癒しカラーの壁になってきている。
でもこれも今一つ一時的にならいいけれど、医学医術というのは人工的な処置だろうし。
でも長いことはいられない、とつくづく感じたりする。
照度というとき、手術時の照明が一番高いということも習った。
暗くて白いコンクリートの壁に絵がかかっているというようなトーマス・マンのような
のにとって代わってきたのなら、
これも近現代化というかアート=術の進化なのかもしれない。