いつかあの羊に会いに

思い立ったが吉日

森の話と私の近況

今日、仕事の面接で会社へ行った。

山を切り開いた土地の上にある建築設計士の方の事務所へ。
びっくりするほどの急勾配、自転車も思わず降りて押してあるく。
時間が少しあるので何か店がないかと探すと、
ちょうど宅地が壊された跡に通りがかる。
辺りは大きな家が多いが、ここも家が取り壊されると
まるで土砂崩れの跡地のような凄まじさ。
黄土色の山土が露わになって、早くなんとかしないと
雨がひどいと土砂がれ出しそう。

さて、時間もきてノックする。小さな面積設計の腕を生かして
コンクリむき出しの三階建て。
桜と落葉樹が日本、同じ高さに伸びて、サザンカアセビ
マンリョウが植えてあり、洒落ている。

奥の部屋には書や絵が飾ってあり、美しさを忘れない、
それでいてモノトーンの感じ、間の製図の部屋には男性社員、
書物の棚も天井まで届いているが、
一人とトレースの机が一つ入るのがやっと。
それでも片付いていてスッキリしている。

面接では 常緑の一枝、落葉樹の一葉の木の名前を聞かれて、
なんと答えられず。やっぱり忘れているな〜
アオモジとサクラ?オオバアサガラ?
広葉は大きな葉でこんなのあったっけ、と見入ってしまった。
乾燥していて薄くなっているので質感がわかりにくい。

七千本の木の調査だそうで、約四千本を十年以上前に調べた資料
を元に確認し精査してほしい。とのこと。

先日の下見。この公園の木の樹齢も数十年から百年にはなっているだろう。
根が踏み込まれて痛痛しい。もっと土を入れてあげたい。
風に吹かれて痛んでいる葉、もっと周りに木を植えてあげたい。
そんなことを思ってしまった

勉強します、と退出。
帰ってから図鑑を5、6冊引っ張り出して見直した。


経済に追われて本を見る暇もなく、、介護で余裕も失い、
せっかく集めた植物の本も衝動的に処分してしまった。

私のココロはなんだか綾町のかつての森に似ている。
木を切るしかなかった村、夜逃げの村といわれて、森づくり、町づくりが始まった。

私も心の木を切り倒してきた気がするのだ。風だけが吹いて寒々しい。

何十年もかけて自立した循環型の共存の森にした住民と町長さん達。
私もきっと二十年、三十年これからかかるかもしれないけれど、
心の森づくりを森に習い、つくっていこう。
子どものように取り戻して行こう、と誓う。

これから大人になるこども達も、
大事なものを売ってしまわないように、と強く願う。


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ラジオ深夜便より 宮崎県綾町の照葉樹林 メモ

宮崎県綾町専門監 河野耕三さんの話
照葉樹林の文化

漆には湿度の高さが必要で、そうでなければ乾燥しない
味噌、醤油、酒などの発酵 、かびの食文化
染織の木の灰を媒染に植物を染料、蚕の存在

有機農業
木工の里
おいしい水

全住民参加の地域作り
自治公民館の配置と産業、スポーツ、生涯学習
地域の雇用を毎月あげる
一戸一品運動
健康づくり農業の三億数千万の売り上げ

1960年からのまちづくりと2005年からの森づくりがあって
今のユネスコエコパーク登録
住民と森の共存ができる状態での町からの申請は日本で初めて
町民によるいろんな形での百年かけた町づくり
もう森づくりはできたので、もっとそれ以上かかる。
森を破壊してきた歴史が長く二百年、三百年かかるだろう。
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